今朝、朝起きていつものようにツイッターを開くと、ツイッターを開始して13年ですおめでとう!という通知がツイッターから届いていた。
そういえば8月2日がツイッターを開始した日だったかもしれない…と思い、とりあえずツイートする。こういう条件反射を13年も続けてきたのかと思うと少し寂しくなる気もするが、もはや生活の一部となっているので仕方ない。
Twitter始めて13年目らしい!13年て。すごいなw pic.twitter.com/D279Vcz75O
— ケイタ (@fmty) 2020年8月1日
しばらくするといいね!が1件、2件とつきはじめて、しばらくすると15件ほどのいいねがついた。こんな特に何の代わり映えのないツイートにいいねをしてもらえるのは本当にありがたいし、悪く言えば承認欲求が得られるところも長く続いた理由なのかもしれない。
特に僕はツイッター経由で知り合った方が多く、地元の友人達と会うよりもツイッターでオフ会しているほうが多いのでは?というくらい現実世界に密着してしまっている。転職した経緯にしてもツイッターがきっかけであることは間違いないし、まさにツイッターさまさまである。
ツイッターで知り合った人と年賀状のやりとりをするという新しいのか古いのかよくわからない状況になっているくらいだ。
もちろん実際に会うこともなければ年に1回もやりとりしないが、ずーっとフォローしあってるようなフォロワーさんもいる。そういう人ともいつか実際にお目に掛かって挨拶だけでもしてみたいものだなぁといつも思っているのだが、向こうからすると迷惑なだけかもしれない。
このツイッターというサービスがある日突然なくなってしまうことを想像してみると、今の僕の大半の人間関係を失うということで、未来永劫…というのは難しいかもしれないが代わりになるようなサービスができるまでは続いてくれたら嬉しい限りである。
もしここまで読んでいただいたフォロワーさんがいるのなら、14年、15年、20年とこれからも引き続きよろしくお願い申し上げたい。
尚、最後になるが、いつもと文体が違うのと僕がちょうど森見登美彦を読んでいるのは全くの無関係であることだけはここに表明しておきたい。